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福岡・さよなら原発一万人集会に参加しました 11月13日、福岡市舞鶴公園に九州、沖縄、山口から原発廃止を願う市民が集い、デモ行進をしました。 わが家も店〈大地〉を臨時休業とし、一家総出で参加しました。新聞発表では、目標を大きく上回る1万5000人が集まったということです。 25年前、チェルノブイリ原発事故が起き、放射能汚染は世界中に広がりました。 その一年後に、甘蔗珠恵子さんが『まだ、まにあうのなら』(地湧社)を出版し、50万部のロングセラーとなりました。 さらに、2006年にはオリジナル版に甘蔗さんの現在の心境と消息を綴った『十九年目の手紙』と英語版『Is It Too Late?』を加えた増補新版(地湧社 1050円)が刊行され、版を重ねています。その甘蔗さんにも久々にお会いしました。懐かしい方々はもちろんですが、若い世代の参加に感動しました。 かつての闘士とは無縁の、ベビーカーに子供を乗せたごく普通の若い一家がたくさん参加していましたが、きっと、福島原発の事故を深刻に受け止め、反対意思を表すために初めて参加した人たちだったと思います。意思は行動や態度に表さなければ伝わりません。この日参加した一人の社会科教師は、「子供たちに本当のことを教えたくてきました」と言っていました。 新聞で知ったのですが、上関町立祝島小学校の校長だった山本英二さん(53)は、東京電力福島第一原発事故の後も原発の安全性を説く日本の教育行政に疑問を抱き、悩んだ末に辞職しました。祝島に着任するまでは原発に関する知識もなく、当然のように安全と思っていたのだそうです。しかし、島民の30年に及ぶ反対運動や福島原発の事故に触れ、自らも情報を集めて問題点を知り、「誤った国策に抗議するには辞職しかない」と、考えて決意されたそうです。町教委や県教委審議監は慰留したそうですが、私には形の上だけのものに思えてなりません。 この日のデモでは、「みんなで変える、ここから変える、電気は足りてる、子どもを守ろう、原発いらない」とシュプレヒコールをあげながら福岡の大通りを行進しました。 安全神話の裏 11月27日、NHKスペシャルで当事者の証言ドキュメンタリーが放映され、原発の安全神話には裏があることがわかりました。 第一の裏 原発導入時、電力会社と国を指導する立場の原子力安全委員会はアメリカにならって指針を作ったのですが、肝心の「低人口地に」という立地の条件を削除しました。そうしないと日本では立地場所がなかったからというのです。 第二の裏 日本がモデルとしていたアメリカは、スリーマイル島原発事故の後で、想定外重大事故の見直しを指針に入れたのですが、日本は「一万年に一回というようなことは起こらないに等しい」と「重大事故の想定」を削除しました。東電は国内電力各社の総本山で、この「重大事故という言葉を指針に入れるべきか否かを各社長に聞いたところ全員が反対した」といっています。その理由は、そんなことをしたら原発を推進できなくなるから、ということです。 第三の裏 2008年には東電社内で、福島では10・2メートルを超す津波の可能性があるという調査結果が出ていたにもかかわらずこれを国に報告しませんでした。それについて当時の東電副社長が「当時は泊原発など訴訟中で、この資料を出すと敗訴につながり、原発が続けられなくなると判断した」と語っていました。 一貫してリスクを回避する姿勢はなく、「指針がない中で現場に任されても、数百億円かかるようなことは自主判断できませんよ」と当時の福島原発所長は語っていました。 要するに、強引に原発政策を推進するためには、「安全神話」をデッチ上げるしかなかったのです。福島原発事故の後も推進派の勢いが衰えているようには見えません。 |
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