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No.48

アナログな私ですがブログを
開設しました!!

どうぞ、ご覧ください。

紙芝居の絵を描かせていただきました



 朝吹英二翁は耶馬溪町宮園地区出身で、明治産業界の巨人と称された人です。

 昨年春、5代目にあたる朝吹真理子さん(26)が芥川賞を受賞されたことを契機に、子供たちにその生き方や人となり、考え方を伝えたいということで、顕彰会が発足しました。

 顕彰会の会員でもある「耶馬溪町歴史観光案内人」が中心となって紙芝居をつくることになり、会の代表者吉森晶子さんから、突然、絵の依頼を受けました。紙芝居の絵は一度も描いたことがありませんでしたし、見せられたのは晩年の肖像写真だけでしたが、あとは想像しながら楽しく描かせていただきました。

 朝吹英二という人物の偉大さは、人間的度量の大きさと時代を読む先見性にあったようです。故郷を思う優しさも並はずれていたようで、郷里からの訪問者には財布ごとお金を渡していたというエピソードがいくつもあります。

 115日の「朝吹英二翁を語る会」には、翁の曾孫・朝吹亮二氏(真理子さんの父・慶大教授)が、お連れ合い同伴で来られ、記念講演をされましたが、その中に、紙芝居では触れられていないエピソードが二つありました。

 一つは、福澤諭吉が姪の中上川澄さんに「あいつ(朝吹英二)は、将来大変見込みのある奴だ。あばた顔だから浮気の心配もない。あいつの所に嫁に行け」といったそうですが、実は三井、三菱のトップになったり数々の企業を創業したりと活躍していた頃は、昼は仕事、夜は花街という生活だったそうです。

 事業に失敗して浪人暮らしをした時期もあったようですが、そんな時には芸妓さんたちが日ごろのお返しとばかりに訪れて励まし、もてなしたそうです。お金だけのつながりではなかったようです。

 もう一つは、攘夷思想が主流だった頃のこと、朝吹英二青年も増田宋太郎に心酔し、福澤諭吉と会う機会があって、すき焼きを出された時も、「この西洋かぶれが!」という思いだったし、暗殺も計画していたそうですが、諭吉の下足番をしながらいろいろな西洋事情を聞くうちに、福澤に心底傾倒していったそうです。「良いものがあればそれを取り入れていく、開かれた思想の持主で人望も厚く、多くの人に愛された人だった」と亮二氏は話を締めくくられました。

 講演の中で、「タッチが良い」と私の絵を褒めて下さいました。気配りの行き届いた優しい紳士だと感じ入りました。

 それにしても、アエラの表紙を飾ったときの朝吹真理子さんの美しさには目を奪われてしまいました。「天が二物を与えた芥川賞作家」と書かれていたように記憶しています。

 ご両親も優しいお人柄で、耶馬溪の自然と住民のみなさんの心づかいに感銘を受けられたようで、「これからも訪ねたい」といっていました。この次には真理子さんがお忍びで来られるかも知れませんね。

 耶馬溪から、朝吹英二翁の光で文化の輝く中津市に発展してほしいものです
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