近くにあって遠い伊方町と梼原町
福島原発事故から2年が経過しました。「未だ全く収束していないのに、原発を再稼働させるという政府は無責任すぎる」と福島の被災者は怒っています。原子炉は冷やし続けなければならず、そのために毎日プール2個分の放射性汚染水を詰めたタンクが敷地一杯に溜まり、いずれ海洋投棄するしかないともいわれています。
事故が起きれば人間の手で制御できず、廃炉にも数十年を要する原発の再稼働など考えられません。
政権交代後の1月21、22日の両日、私たちの会派は伊方原発のある伊方町とそこから東方50キロメートルの位置にある脱原発宣言の町・梼原町の視察にいきました。
伊方町は鳥のくちばしのような半島の付け根にある町ですが、この地形を見れば素人の私でも大きな地殻変動でできた地形であることがわかります。
巨大な活断層・中央構造線が間近を通っているにも拘わらず伊方原発は再稼働の一番手と目されています。
PR館に入った私たちに、ヨンデンの説明員は再稼働を確信した態度で説明しました。
伊方原発は現在停止中ですが、稼働時同様、1000人を超す人々が働いているそうです。
また、この半島には60基の風力発電が稼働しているのですが、家庭用電力はこれで十分賄っているそうです。
一方の梼原町は、小型水力や風力、太陽光、バイオマスを活用することで、エネルギーの30%近くを自給している町です。地産材の庁舎、有機農業や林業など地産地消のモデル都市として、全国から視察団がひっきりなしに訪れているようです。私たちが訪問した日も、午後には東京大田区の区議団を迎えることになっていました。
伊方町と梼原町、どちらが地震大国日本にふさわしいでしょうか。あなたはどちらの町に住みたいですか。
極めて危険なものであることを知っているからこそ、原発は過疎地に押しつけてきたのです。許されることでしょうか。
自然破壊を止めない限り、持続可能な社会を残すことはできないでしょう。
原発を含めて、エネルギー政策は、すべての生物にとって、生存にかかわる重要な問題であり、数万年後を視野に入れながら取り組むべき問題でもあります。たかだか、ときの政治が政争の具にするようなことがあってはなりません。
いうまでもないことですが、人の寿命は短く、政治は責任を取りません。自分の利益と名誉欲しか考えられない政治家の言葉に振り回されないようにしましょう。
3月11日夕刻、市役所前の中央公園で、平和運動センターなどの主催で「3・11を忘れない、脱原発集会」を開催しました。
原発事故後、浪江町から家族3人で中津へ避難してきた吉田盛一さんのお話は、事故を体験した人でなければわからないことばかりでした。原発から7キロのところに住んでいたそうです。
事故直後から家族がバラバラになり、やっと携帯で所在確認できたのは二日後だったこと、会えたときには家族のありがたさを実感したこと、見た目には何にも変わっていないふるさとに、今、誰一人いない。立ち入ることもできないのです。放射能の怖さを初めて知ったといっていました。
今春中学生になる娘さんは福島に戻って進学するといっているそうで、また家族バラバラになるようです。
原発によって分断された悲しみはどれほどでしょうか。「福島の復興を祈る」と涙ながらに語っていました。
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