るみ子ニュースNo.29 2006 夏(季刊)
女性の声、生活者の声を議会へ


第二回竜一忌 松下さんは不滅のようです

6月18日、市内のホテルで第二回竜一忌(草の根の会主催)が開催されました。 竜一忌は松下竜一さんの人生をたどりながら、人にとって何が大切かを知り、それを忘れまいとする仲間や同志、愛読者によって、これからも毎年、命日(6月17日)前後の土日を選んで開催されていくと思います。
 昨年に続いて、私は草の根の会の一員として司会役を務めました。
 テーマは、昨年の第一回竜一忌が「『豆腐の四季』で、今回は「作家宣言」でした。
 松下さんは、当時、宇部市にお住まいで、『豆腐屋の四季』を読み、テレビドラマも見ておられた向井武子さんから、この人ならと見込まれて、冤罪事件(仁保事件)の救援運動に誘われ、それによって社会に一歩を踏み出したのでした。 それからすぐに、作家への転身を決意して豆腐屋を廃業していますが、その時期、1970年から1972年までの、松下さんの人生で最も重要な時期を取り扱ったわけです。
 今回のメインゲストを向井武子さん(現在は宝塚市に在住)にお願いしたのはそんな理由からでした。  松下さん最後のノンフィクション『汝を子に迎えん』の主人公でもある向井さんは、「松下さんも〃まず情ありき〃の方でした」という話をされました。お二人の共通点のようです。
 今回のテーマを提案し、当日配布したパンフレットに「松下竜一の社会化―人は他人の痛みをどこまで分け合うことができるのか」と題する解説を書いたのは、松下さんについて最も詳しい新木安利さんでした。
 同じパンフレットに、梶原得三郎さんは「松下竜一は不滅のようです」というタイトルで主催者挨拶を書いていますが、その理由としてこの一年間の出来事をいくつか挙げています。
1、「草の根通信の復刻版 (すいれん舎)第一期9 巻が刊行されたこと。
2、樹立社の企画で大活字 版『豆腐屋の四季』(リ ブリオ出版)が刊行され たこと。
3、理論社が『5000匹 のホタル』を名作の森の シリーズの中で再刊した こと。
4、台湾の出版社から、川 崎市の大気汚染をあつかった『いつか虹をあおぎ たい』を出版したいとい う申し出があり、遺族が 了承したこと。
5、昨年参加された呉英珍 (オ・ヨン・ジン)さん が『豆腐屋の四季』の韓 訳を進めていること。
6、新木さんの著書「松下 竜一の青春」を買った人 から今も、追悼文集『勁 き草の根』の注文がくる ことがある。などです。
 復刻版『草の根通信』の、第1期分9巻(1号〜205号)は、分売不可で揃い価格が24万円です。国内外の大学や公立図書館を中心に売り込んでいると聞いています。米国のエール大学からはすでに第2期分も含めた予約が届いているということです。
 私には、会費や旅費で出費が大きいにもかかわらず、今回も全国から100名を超える方々が参加されたことだけで、松下さんの不滅は証明されているように思えます。
 千葉市から参加された方が「ここに来ると、今何が大切か気づかせてくれるんですよね」といっていました。
 遺族挨拶の中で長男の健一君が、今年も東京書籍の国語教科書に松下さんの作品(絵本)が採用されたことを報告しました。
 没後に松下さんの愛読者となった横浜の方はリレートークで「松下さんは(宮沢賢治のいう)デクノボーですね。そして作品に登場する梶原得三郎さんもリッパなデクノボーです。ここに来ればそういう人に会えると思ってやってきました」と語り、会場は大爆笑でした。
 実は、新木さんが尊敬する作家は、松下竜一と宮沢賢治なのです。
 没後も多くの人に感動を与え続ける松下さんは本当にすごい人です。